slopelife

日々の記録、感じたこと、思ったことなど。

芸術の定義とは

恩師と話をしている時に、

「芸術を定義できますか?」

と、問われた。

 

「感動すること?」

自然の景色を見て感動することもある。

自然の景色は一般に芸術とは言わない気がする。

 

「人がつくった、心を動かされる何か?」

たとえば、音楽の中でも「民謡」や「(校歌などの)唱歌」を考えてみると、それは一般に芸術とは言わない気がする。

 

 

参考までに、ウィキペディアで調べてみると、

芸術(げいじゅつ、η τεχνη、 technéars)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸言語芸術)、美術造形芸術)、音楽音響芸術)、演劇映画総合芸術)などを指す。

とあった。この定義はこの定義で奥深いが、抽象度が高く今の自分には少し難解だ。

 

先生曰く、

「あくまで僕の私感だけど、芸術とは、意図を持って設計、制作されたものだと思うんだ。」

 

工学部出身で、「設計」→「制作」というプロセスが身についている私にとって、その産業的プロセスが、芸術に当てはまるという感覚に一瞬戸惑った。

 

しかし、よく考えてみると、クラシック音楽や、絵画などは、実は綿密な設計で作られてると聞く。絵画展などに行くと、作者の意図について詳しい解説があり、「作品の意図はもしかしてこれ?」という感覚にたどり着いた時、少し作者と触れ合えた気になりなんとも言えない満足感がある。

 

さて、設計→制作というプロセスの背後には目的がある。

・製品であれば、ユーザーに受け入れられ、利益を生み出すこと。

・建築物であれば、安全と使い勝手を両立させること

このあたりは明らかにわかりやすい。

 

では対象物が生み出す経済性が強いと芸術から離れていくのか?

 

音楽で考えてみる。

全ての音楽は、「芸術」と言えるのか?

例えば、民謡や童謡などは一般に芸術とは言わない気がする。

(もちろん、芸術というカテゴリと優劣という概念は全く別。)

自然発生的に生み出された、口伝で伝えられたものは芸術からは遠いのかも。

 

先生の言葉の中には「意図」という言葉があった。

目的には意図がある。おそらくこの「意図」の中に、芸術になるかどうかのしきい値があるように思う。

 

 

しばらくはこの意図をさぐる試みを「芸術」への態度としてみたい。